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小説の創作と日々思うことをつらづらと。
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   知り合いのラーメン屋で働き始めて三カ月が経った。前働いていた店ではちょっとしたトラブルで辞めざるをえなくなり、ツテを頼って来たのだ。しかし、その知り合いが急に辞めてしまったのは予想外で、店長と自分の二人で店を回しているところだった。19時から27時まで営業しているこの店は深夜帯までお客が来て一人店内のBGMに耳を澄ますということは少ないものだ。
 「いらっしゃいませー。」
 三か月も働けば馴染みの客に覚えもでる。今来た連中もそれだ。男性三人と色白で長い黒髪の女性で計四人。彼らはちょっと特殊でいつも三杯のラーメンしか頼まない。塩が二つの醤油が一つ。最初に入って来た男性がまとめて注文するのだが、伏し目がちに俯く女性はラーメンが来ても箸すら取らずに彼らの食べている風景を眺めているのが常だった。
 いつもは他のお客がいるから彼らばかりを見ているわけにはいかないのだが、今日は珍しく彼らだけ。時刻は26時を少し回った頃。女性の隣にいた男性が戻ってくるのを待っているのか、三人は食休みしている。好奇心が勝った瞬間だった。
 「お客さん、贔屓にして頂いてありがとうございます。」
 それとなくテーブルに近づき礼を述べる私に全員が少し驚きながらも笑みで迎えてくれた。なんでも、自分が働き始める前からよく食べに来てくれていたことを聞いた。厨房から眺めるのと違って彼女を近くから見ると、色白の肌は病的な青白さのように見えた。心なしか目の下がくまのように変色しているようにも見える。彼女の彼氏が事故で亡くなってから、拒食症になってしまったらしい。つまり本当に病気だったのか。
 「でも、ここのラーメン食べてるのを見ると食欲が出るみたいなんですよ。ラーメン二杯食べるのはきついですけど、いつかこいつが食べれるようになるまで続けようかなって。」
 他のお客さんが来たところで彼らは店を後にした。私は三人が帰るのを厨房から見送った。
 
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 一人ぼっちの教室は少し寒々しく感じさせる。一番に登校した時よりも、みんなが下校した後の教室の方がどこか寂しさを抱かせた。それは始まる前ではなく、終わった後だからなのかもしれない。役目を終え、日が沈み、月に照らされ、朝焼けと共にまた同じサイクルが始まる。教室は孤独だ。
 廊下から靴音が聞こえ、それがどんどん近付いて来るのがわかった。
「おっ、ここにいたんだ。」
 同じクラスの斎藤雄也。中学から一緒で、一年目が同じクラスだったことからお互いを知り、志望校が同じということで関係が深まった。中学が一緒の奴は雄也だけだったから、周りみんなが初対面で苦しい中を、寄り添うように群れるようになった。親友という言葉に見合う人間はと訊かれれば、真っ先にこいつを思い浮かべるだろう。
 「どうした。なんかセンチな雰囲気出してっけど。まだ十月だぜ?」
 窓際の自分の席に近づいて来た奴は、机の端っこと前の席とその椅子の三点に体重をかけながら話しかけてくる。三年の十月。たいていの人間が大学入試に向けてスパートをかけている中だが、目の前のジャージ姿でタオルを巻きつけた雄也は少数の就職組だ。家庭の事情でという人間もいるが、雄也は違う。中学の時からやりたい仕事を見つけ、高校三年になったらあっさりと就職口を手に入れた。受験で悪戦苦闘している連中を尻目に最後のモラトリアムを満喫しているというわけだ。
 「学校にも来ないで予備校に登校している奴もいる中で、外見て呆けてる時間があるなんて余裕だな。」
 「余裕なんてないさ。疲れて息切れしちゃったから束の間の休憩ってやつだよ。」
 余裕がないのは事実だった。夏から受験モードに入ったとはいえ、模試の成績はそれほど上がっていない。目に見える結果が出ていないから意欲が出ない。ゆえにより一層疲れを感じてしまうという負の連鎖に落ちてしまったのはどこかで自覚していた。やらなければならないのはわかっているが、やはりどこかで今を楽しんでいない虚しさを抱いていた。苦しくて誰かに助けを求めたいくらいだが、雄也にはそんなことはできない。今自分がしていることは雄也が手放すモノを、未練がましく握ろうとすることなのだから。
 「休憩ねぇ。まぁそれもいいけどね。おっ夕日だ。」
 声に合わせて覗いた空には、鮮やかに映える夕日が広がっていた。オレンジ色に染まる太陽が教室中をほんのりと温かく染めていく。窓ガラスや窓枠、机の脚までも光を反射して輝いた。黒板には光で線が引かれ、くっきりと明と暗が分かれている。
 「綺麗だな。」
 「そうだね。こんなに綺麗なのは初めてかも。」
 「大げさだな。」
 雄也に軽く笑われてしまった。でも本当に綺麗だった。生まれてから何度も見てきた光景なのに、なぜこんなにも綺麗に思えるのだろう。
 「大学、東京のとこなんだって?」
 「うん。受かれば春から一人暮らしって、まだぴんとこないけどね。」
 「受かるよ、お前なら。」
 「そうだといいけどね。」
 「手、出してみ。」
 不思議に思いながらも言うとおりに右手を差し出すと、ぎゅっと両手で握られた。
 「力わけてやるよ。縁起いいぞぉ。すでに勝った人間の力なんだから。」
 「入社試験で力使い果たしてたりしてね。」
 「はっ、馬鹿言ってんじゃねーよ。」
 温かかった。窓から降り注がれる日差しよりも温かく、それでいてしっかりと脈を打っているのがわかった。人の手はこんなにも温かいものなんだな。
 「卒業して、お互い離れたって、今は携帯もあるんだし簡単に連絡取れるんだぜ。疲れたら戻って来たって良いんだから。大学って休み長いらしいし。」
 声を出せなかった。声を出したら一緒に涙まで流れてしまいそうで。心の中にある不安を見透かされた気恥ずかしさはなかった。言葉が持つ、確かな温かみで心が揺らめいたのだ。
 「俺たち、友達だろ?って、泣くなよ。」
 涙のせいで雄也の顔が靄にかかったみたいに不透明だった。それでも笑っているんだと思った。声に出して返事する代わりに雄也の手を両手で強く握り返した。骨の感触が強く伝わるほどに。強く強く握ったら何かが砕けるのがわかって、温かったものが手を這うように溶け出して目の前で笑っていたはずの雄也がそこにはいなくて、跡には黒いものが残った。
 
 ずいぶんと見慣れてしまった天井には変な模様がある。夢から覚めると、毎度これのせいでこんな夢を見るんじゃないかと思うが寝る場所を変えはしない。煩雑とした部屋に寝るスペースはここだけだ。
 枕元の左にある携帯を手に取りセンターに問い合わせる。受信メッセージがないことを丁寧に告げてくれた。携帯を放り投げたら今度は右にある青色の煙草の箱から一本取り出し火をつける。ゆっくりと吸い込んで紫煙を一直線に吐き出す。指先に煙草の熱を感じる。
 「温かいなぁ。」
   深夜。どこにでもあるファミレスの一卓。店の隅に追いやられた喫煙席の壁には鏡があり、自分たちを鮮明に映す。
  泣いている彼女を目の前にしても、特に動揺することはなかった。彼女の涙に色っぽさを感じることも、悲しみの深さを推し量ろうとすることもない。ただただ彼女を見、そして言葉に耳を傾け、そこから嘘を掬いあげようとしていた。
浮気をする女、それを浮気相手から明かされる男。
彼女に連絡を取ると拍子抜けするくらいあっさりと認め、話を聞いてくれと呼び出された。深夜の店内は客も少なく、彼女の過熱する声の調子が隅から隅まで響き渡る。コーヒーのおかわりを促しにも来ないウエイトレス達の囁きが、彼女の声と同じくらい大きく頭の中で想像される。はっきり言って迷惑だった。終始吐き出される言葉は相手の強引さを掘り返し、目に映った酒の度数を詰り、自らの落ち度は断ることができなかったことだけだと主張する。彼女の言葉一つ一つが自分の心を冷たくしていくのがわかる。答えは決まっていたのかもしれない。
頼んだコーヒーのカップが冷め、数十本目のタバコが灰皿に押しつぶされた時、別れの言葉を受け入れた彼女が席を立ち去った。深夜の拷問とも思えた時間は終わり、目が霞むので目薬を点した。ふと見た鏡に映る姿は泣いているようだった。
 
 台風12号は関東を直撃し、一日だけ猛威を奮い気が済んだように東北へと北上していった。土砂振りの雨は一転絶好の行楽日和と変わり、季節の移り変わりを思わせた。
 男は歩いている。お天気お姉さんの忠告を聞きいれ、七分丈のシャツを羽織り、のろのろと歩いていた。外は静かだった。擦れ違う人はいれども、特に気になる声量でもない。パチンコ屋の前を通れば金属音と電子音の塊が体に打つかりはする。車も滞りなくすいすいと流れている。たまにクラクションの音が鳴るも気にならない。
 ポケットで軽く振動した。携帯が緑色に明滅している。電話の主は母親だった。病気で入院していた父親が息を引き取ったらしい。何か小言を言っていたようだが、男にはよく聞き取れなかった。少しの沈黙の後、溜息を最後に音が途切れた。男はまた携帯をポケットにしまった。
 のろのろと擦るように歩く男の靴が何かをすり潰した。靴底にはミンチ状に伸びてしまった肉と一本だけ透き通る羽が見えた。おそらく蝉だ。
 蝉。男は蝉の鳴き声を聞くことなく夏を終え、そして秋の始まりを感じた。
  段差が存在していた。そして一段目にいた男女が、私の両親なのだろう。彼らは私に手を差し伸べて、私はそれに小さな掌を重ねた。それが始まりだったのだ。
  首がすわり、腰がすわり、言葉を知り始め、歩き始める。そうやって一つ一つの段差をゆっくりと上り始めた。両手を握ってくれる父母が、ひとつ上の段から笑顔を向けてくれる。
  幼稚園を卒業して、小学校に入学した頃に気づいたことがある。振り返ると階段には色が付いていた。黄と黒の二種類しかなく、一つの段を染めるのは単色だけ。黄、黄、黄と来て、やっと黒が出てくる。
最初から色が付いていたのだろうか。
  今、自分がいる段に視線を落とすと、光を発していてわからない。だから十数段先を見上げても、眩しくて先が見えないのか。
  小学校を卒業し、中学校を卒業する。その頃には両手を握られていることはなく、どちらかだけだったり、両手共に空を彷徨っていることもあった。両手は支えを望まなくなり、支えの方も重みに耐えられない。一人で上がることを知るのだ。
  たまに昔が懐かしくなって、後ろを見ることがある。既に平らだった場所はなく、三つに一つの割合だった黒い段はその頻度を増したとか、そんなことにも気づいた。決まって二、三段前のことを思い出すと胃が痛くなり、十段以上前のことを思うと口元が緩んでしまう。そんな法則もある。
そして、ごくたまにだが、段は大きさを変えることがある。急に幅が短くなり、次の段になると元の大きさに戻っていた。
高校に入学すると右手を握ってくれる人ができた。その人のことを思うと胸が痛くなる。右手は強く握り返されることもあれば、手のひらをくすぐりながら離れることもある。たいてい一度離れると、二度と同じ手が触れることはなかった。それでも、離れてしまうとまた違う手が伸びてくる。
大学ではびっくりするくらい強く握られ、同じくらい強く握り返した。お互いに知っていたのかもしれない。この手を離すことの恐怖を。
社会に出て、会社で上司の怒号を浴びている時も後ろ手には温もりがあった。その内、右手を握る手の大きさが変わった。小さな手。でも、その手の先には変わらずにあの手が繋がっている。
繋がられた手が大きくなるにつれて、階段を上ることがつらくなってきた。そうなると、当たり前に存在していた階段が邪魔になり、これはいつまで続くのだろうと思い始めた。よく考えてみると、この先に何があるのかを知らない。何を目指して上がっているのかを知らない。誰も教えてはくれなかった。
そう言えば、いつからか父母の姿がない。
   見上げた時、もう眩しくはなかった。そこが最後の段だと気づいた時には周りには誰もいなかった。
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