12月も中旬。初雪に興奮した彼女からの電話をただ聞き流すことができず、僕はコートを羽織って、家を飛び出した。いつもの公園で待っているからと言い残して切れた電話から流れる単調な音が耳に残っている。躊躇う気持ちが足取りを重くするのに、行かなければいけないという衝動の方が大きかった。それが部屋から出る理由でもあり、勇気にもなった。
公園に続く道にうっすらと足跡が一つ。彼女の方が先に着いていたようだ。ベンチで佇む彼女は舞い落ちる雪に見とれながらも、時折手を翳してそれを受け止めていた。吐息は白く彼女の頬は真っ赤に染まる。長い睫毛は黒く、純白の雪とのコントラストで僕は少し見とれていた。彼女が気づいてくれなかったら、この世界が彼女の吐息と雪とで真っ白に包まれるのをずっと見守っていたかもしれない。世界は深夜を回って、煌々と輝くと電灯とそれに追いやられるような漆黒の闇の二色。僕たちはそこに新たな色となった。
「修君は東京かぁ。」
僕は雪を払って彼女の隣に腰掛けた。つまらなそうに呟く彼女は視線を落とし、積もり始めた雪を靴で踏みつけたり円を描いたりと忙しなく動かしている。円には点が加えられ、また円が描かれてと、徐々に顔のようになっていく。そして僕が寒さで震えている唇を動かすのと、その絵が音を立てて踏み消されてしまうのは同時だった。
「私立が受かれば、だけどね。落ちたら、まぁ地元に残って、国立かな。」
彼女は地面を見つめ、僕は何も見当たらない空を見上げていた。不思議な感じだった。せっかくこの寒空の下、待ち合わせまでしたというのに僕らは意思を持って視線を交わしていない。交わされる言葉はとても薄っぺらで、吐息のように一寸後には霧散してしまう。吸っては吐き出す。その空気の中に僕たちの言葉は吸い込まれてしまったからなのだろうか、お互いの心に届いていたとは到底思えなかった。
木製のおんぼろベンチが揺れる。彼女は立ちあがって一歩、また一歩とつま先で地面を叩き、そのままの勢いで宙に向かって振り上げ、雪を蹴飛ばすように踏み出す。
「私も東京にすれば良かったかな。地元で就職なんてやめて。」
「もう会えないわけじゃないだろ。」
降り注ぐ雪の積もる音が聞こえたような気がした。白々しさのこもった静寂。彼女の足は止まり、寒さで震えているような小さな背中は僕の言葉を求めているようだった。彼女が求めている言葉が何かくらい僕にもわかる。
「東京って言ったってさ、帰ろうと思えばすぐ帰れる距離なんだから。」
「本当に?本当にそう思う?」
彼女の背中から目を逸らした時、彼女の吐息が空へと上がっていくのを見た。
また歩き出す彼女に連れられて、今度は僕も立ち上がって彼女の隣まで足早に進む。歩き続ける彼女の手とわずかに触れる。彼女の手は冷たく、僕はその冷たさをなくしたくて握りしめた。彼女は待っていたかのようにそのまま受け入れてくれ、僕らはお互いの熱で冷たさを消していく。
「また来年もこうやって歩けるんだよね」
「うん。」
そのまま公園を出て、彼女を家へと送った。来た時の足跡なんて、当然新たに降った雪で重なり消えていた。歩く者のいない道路に、僕らの足跡が刻まれていく。ともすれば、それは僕らが今までの過去の上を新たに歩き始めるロマンチックなことのようにも思える。しかし、お互いの過去を忘れるだけのことなのだと僕は知っていた。降り積もった雪の下の層には確かにあるのだ。
結局、彼女の眼を見ることができなかった。帰り道、そのことを考えながら、もう一つ別なことにも考えを巡らせていた。
この雪が止み、冬が終わって春を迎えた時、僕らは別れるのだと。