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小説の創作と日々思うことをつらづらと。
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  段差が存在していた。そして一段目にいた男女が、私の両親なのだろう。彼らは私に手を差し伸べて、私はそれに小さな掌を重ねた。それが始まりだったのだ。
  首がすわり、腰がすわり、言葉を知り始め、歩き始める。そうやって一つ一つの段差をゆっくりと上り始めた。両手を握ってくれる父母が、ひとつ上の段から笑顔を向けてくれる。
  幼稚園を卒業して、小学校に入学した頃に気づいたことがある。振り返ると階段には色が付いていた。黄と黒の二種類しかなく、一つの段を染めるのは単色だけ。黄、黄、黄と来て、やっと黒が出てくる。
最初から色が付いていたのだろうか。
  今、自分がいる段に視線を落とすと、光を発していてわからない。だから十数段先を見上げても、眩しくて先が見えないのか。
  小学校を卒業し、中学校を卒業する。その頃には両手を握られていることはなく、どちらかだけだったり、両手共に空を彷徨っていることもあった。両手は支えを望まなくなり、支えの方も重みに耐えられない。一人で上がることを知るのだ。
  たまに昔が懐かしくなって、後ろを見ることがある。既に平らだった場所はなく、三つに一つの割合だった黒い段はその頻度を増したとか、そんなことにも気づいた。決まって二、三段前のことを思い出すと胃が痛くなり、十段以上前のことを思うと口元が緩んでしまう。そんな法則もある。
そして、ごくたまにだが、段は大きさを変えることがある。急に幅が短くなり、次の段になると元の大きさに戻っていた。
高校に入学すると右手を握ってくれる人ができた。その人のことを思うと胸が痛くなる。右手は強く握り返されることもあれば、手のひらをくすぐりながら離れることもある。たいてい一度離れると、二度と同じ手が触れることはなかった。それでも、離れてしまうとまた違う手が伸びてくる。
大学ではびっくりするくらい強く握られ、同じくらい強く握り返した。お互いに知っていたのかもしれない。この手を離すことの恐怖を。
社会に出て、会社で上司の怒号を浴びている時も後ろ手には温もりがあった。その内、右手を握る手の大きさが変わった。小さな手。でも、その手の先には変わらずにあの手が繋がっている。
繋がられた手が大きくなるにつれて、階段を上ることがつらくなってきた。そうなると、当たり前に存在していた階段が邪魔になり、これはいつまで続くのだろうと思い始めた。よく考えてみると、この先に何があるのかを知らない。何を目指して上がっているのかを知らない。誰も教えてはくれなかった。
そう言えば、いつからか父母の姿がない。
   見上げた時、もう眩しくはなかった。そこが最後の段だと気づいた時には周りには誰もいなかった。
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 しなやかな背中を優しくなでるように摩っていると、大きく振るえているのに零れ落ちる音がしないのに気づいた。それも当然だろうか。ずっと彼女は姿勢を低く便座に凭れかかりながら体を上下に痙攣させていた。

 ゆっくりゆっくり唾液が静かに垂れ落ちる音から始まり一気に内容物が逆流すると、独特の酸っぱい臭いが狭いトイレの中、出口を求めて浮遊する。単調な感覚で上下に背中を押し上げるように摩りながら彼女の顔色を窺おうと前のめりになる。額の汗が前髪をべったりと貼り付け、瞳の溜まった涙は徐々に眼の下、頬、顎へと沿って流れ、結局は水と水がぶつかる音で止まる。
便器の中には咀嚼され、胃酸に溶かされ原形を留めていない様々な「食べられた物」が浮かんでいる。形も様々なら色も様々。一度便器に水を流し、すべてを流しきる。それでも彼女は顔を上げない。ずっと下を向いている。彼女は胃の中のモノを全て吐き出したようで、透明な、唾液ともつかない液体を必死にもどしている。それでも、彼女の中に何かが詰まっているようだ。
 
隣の部屋のお姉さん。引っ越しのご挨拶をしてから半年が経ち、食事を頂く代わりに愚痴を聞きお世話をしていることがしばしばある。名前も年齢も、どんな仕事をしているのかも知らない。私たちの関係はあくまで「隣人」でしかない。

 今回は恋人が二股をかけていることを人伝に聞き、問い質した結果、関係を断ち切ったらしい。一発しかビンタできなかったと嘆いていた。それに対して、「そうですね、いつもは五発くらい叩くから、叩きたりないですよね。軽くだったら、あと四発分受けますよ。」と我ながらつまらないギャグを投げることしかできず、彼女は泣きだした。
細かく言葉を切りながら、だんだん嗚咽を混ぜながら、彼女は思い返していた。二人のドラマチックな出会い、一緒に見た夜景の華やかさ、三ツ星の称号を持つ店の料理、あげくは相手の服のセンスまで。どこか憎々しそうに語る彼女だが、細部まで情景を想像させる話はその時の彼女の気持ちを露わにしていた。彼女は本気だったのだ。いつも以上に。
 
彼女が今吐き出そうとしているのは、男を愛した彼女の「想い」なのだろう。一番大切に包んでいた気持ちが、最後彼女の胸を痛める。とても皮肉な結末だと思いながらも、私にできることは彼女が吐き出すのを手助けするだけだ。こんな時に気の利いた言葉をかけることもできない。私は一歩踏み出すことができない。
 
 なぜなら私たちは「隣人」でしかないのだから。
 「はい。先方にも喜んで頂けました。はい。それで、今日は直帰していいですか。はい、詳しくまとめたものを明日提出しますので。はい、それでは失礼します。」
 通話が切れたことを確認してから、携帯を耳から離す。腕が下がるのとため息が出るのとが同時で、それに気づいて更にため息が出る。
 鼠色に濁った空から零れる大粒の水。予報を見てこなかった自分を嘆きつつも、雨宿りできる場所が身近にあり、腰をかけるベンチすらあることの幸運を秤にかける。水平だろうか。もともと雨が降らなければ必要のない幸運だとしても。
 木製のベンチはところどころボロボロになっていて、スーツに木片が付着しそうだが背に腹はかえられない。ベンチにゆったりと背中を合わせ、天井を眺める。焦点は天井に集めながら、思考は現状へと落下させていく。
 休日は人でごった返すが、今日は平日である。しかも、この降り方を見る限り予報ではかなりの高確率が発表されていたのだろう。鮮やかな色彩たちが左右に徘徊しているが、それもわずか。立ち止まることのないその流れは疲れたサラリーマンが形成しているのか、はたまた夕食の買い出しに来た主婦たちなのか。しかし、それもどうでもいいことではある。
 雨粒が盛大にアスファルトで舗装された道を叩いている。周りの音がそれにかき消されることがありがたい。雑音に囚われずゆっくりと考えたかったから。
 生きるということは何だろう、そう考えた時に、スーツを着た自分が行きついた答えは『偽ること』だった。周囲に蔓延る雑音に耳を傾けはするものの、それに囚われないようにするのがどれほど大変か。四方八方から向けられる視線に、どう満足をさせていくか。自分を抑えて抑えて抑えて、胃がきりきり痛むのも我慢して、夜中目を閉じる瞬間が一番幸せで、朝方目覚まし時計の音を聴く瞬間が一番不幸せだと思う人生。
 他人に対して偽り、自分自身に対しても偽る。それに尽きる。
 天井の金属が反射して映す自分の顔を見て、天井を見ることを止めた。真っ直ぐに見据えた世界に起きた変化は単純で、傘が見当たらなくなった代わりに艶やかな光沢を持った黒猫が鎮座していたことだけだ。綺麗な黒のマントにギラギラと輝く一対の獣の象徴。首元に何も付いていないということは野良猫だろうか。
 手を差し出したのは無意識だった。そして、その手を叩かれたのは意識によるものだ。
 馬鹿にするなと言わんがばかりに引っ掻かれた右手が少し腫れる。そう、馬鹿なことをしたものだと思いながらも、あくまで猫を注視する。猫も私を睨みつける。猫の瞳に映る自分は黄色く歪んで見えた。歪んで。歪んで映るのは救いかも知れない。
 二人分のスペースを有するベンチが、今一人の男と一匹の猫に占拠された。猫が爪を砥ぐせいで身を引き裂かれるベンチ。しかし何も訴えることはできない。きっと私たちが明け渡した数十年後に崩壊という形で鳴くのだろうなと思う。
 泣き声が聴こえた。研ぎ澄まされた高音。ゆっくりと上方にカーブをしたグラフが頭に浮かぶ。確か、負の方向に下がる放物線だったかな。
 猫が何を言っているのか、正確に把握したわけではなかったが、太腿に置いていた鞄を脇にずらすと満足そうに上がってきた。一歩目で足場を確かめるようにぐいぐい右手を押し付け、あとは寝やすそうな場所を探すだけ。両の太腿に挟まれた窪みで落ち着くと丸くなり、脚と尻尾の先に顔を乗せ満足そうだった。ちょうど背中が私の臍に来る格好。
 優しく風が撫ぜるように意識しながら猫を撫でる。初めこそ耳がピクと二度三度動いたものの、特段不快ではないらしい。寝息を立てることがないので、本当に寝ているのかはわからない。ただ、幸せそうに見えるのは私の自惚れではないと感じた。
 
 
 雨が止むことはなく、曇り空が晴れることもなかった。
一時間経っても好転しない空模様に内心気が滅入りそうにはなるが、どこかで安心していたのかもしれない。雨が止むことはない。曇り空が晴れることもない。どこか隔絶された空間にいるような落ち着いた感覚に浸れる。
黒猫が寝返り打った回数、8回。寝づらいのか、しばしば態勢を変えて気分を変えている。9回目の時、彼は徐に頭を上げ、腹を舐め始めた。足場が安定しないので少しよろけ気味に忙しく刺々した舌を上下に滑らせている。
ふと彼が熱心に一か所だけ舐めているのが気になった。下腹部のあたり、黒い稲穂が刈り取られてしまっている。なんだ、これは。何故、ここだけ?
猫がストレスで禿げた、なんて面白おかしく話していた人がいた記憶が蘇る。あれが真実なのかどうかはわからないが、今目の前にある十円禿げは何が原因なのだろう。何にストレスを溜めているのか。
話せればいいのに。
 
雨が強くなっていく。
 
話せれば解決することがいくらあったのだろう。しかし、それとは反対に話したところで解決しなかっただろうことも山ほどあっただろう。そして私が選んだのは腹に収めること。解決したところで、自分にどれほどの利があるというのだろう。一時の安らぎを得られるかもしれない。しかし、次は。その次も安らぎは得られるのか。
そんなことはない。
だから私は安心するのだろう。この、『野良』猫に。孤独に一匹として生きていく存在に。私という存在が許される、その拠り所であるこの猫。
 
 
「ナツメー。そんなところにいたのね。」
傘を差した女の子が道の向い側から声を掛けてくる。ナツメ。自分の周りにそれらしい人はいない。しかし彼女は私の方に向かって手を振っている。太ももに鋭い痛みが走り、黒猫が駆け出すのは一瞬だった。
車の通りのない道をがむしゃらに走り抜け、女の子の足元に駆け寄る姿を眺めて、私は、また天井を見上げた。
 マイケルという名前は正しくない。正確にはマイケル三世。つまりは三代目ということだ。いつも笑顔で僕を迎えてくれる優しい猫だ。
 
 「えっ?冗談でしょ?」
 母は泣いていた。携帯電話越しに伝わる、時々こもるような声。呼吸と同時に少し切れる単語。僕は知っている。息を吐く度に、感情が昂って泣き出しそうなのだ。それを必死に抑えようとすると、こんな途切れ途切れの会話になってしまう。大人でも、こんな泣き方するんだなぁと変な感想が浮かぶ。
 「そう、仕方ないよ。うん。」
 立派な大人はこんな時、どうやって慰めるのだろう。薄っぺらな言葉でしか、母を慰めることのできない僕はダメな奴だ。母は堪え切れないのだろう。呼吸が荒くなってきている。まるで三歳児の子供が話す会話。なんだったかな。中学校の国語教師が言っていたのだったかな。分節ごとに『ね』を付ける区切り方。まるで言葉を覚えたての子供が必死に伝えようとしているみたい。そう、馬鹿にしていた気がする。
 「わかった。うん、もう切るね。ごめんね。」
 貰い泣きしてしまいそうだったから、僕は電話を切った。携帯の画面が変わるのを確認してから投げ捨て、ソファにゆったりと体を投げる。クッションが反発する音。皮膚とソファの革が擦れる音。液体が、その革を叩く音。
 
 
 「白血病、なん、だって。病院で。お医者さんが、言って。それからも、通ったんだ、けどね。けど、もう、ダメなんだ、って。」
 「一回、行くたびに、とっても、お金が、ね。裕福な、お家だったら、まだ、治療、できる、だろう、けど。」
 「病気で、死ぬのが、こんなに、こんなにつらい、なんて。お母さん、初めて、だから。もう、猫は、飼えないわ。」
 
 
 猫を飼うことにいつも反対していた母。猫が好きだからこそ、いつか来る別れが苦しくなるから、母は反対していた。結局、専業主婦の母が一番多く猫と時間を過ごすのだ。それだけ深い愛情が生まれるものだ。そこから反転するものも深く重いのだろう。
 そんな母に、決断させてしまったことが申し訳なく、そして辛かった。
 
 
 あれから何年も経ったが、母のことを思うと自分が新たに猫を飼うということがどうしてもできなかった。目の前のディスプレイでは数百枚の画像が三秒ごとに代わる代わる、変化していく。
 
 
 マイケルという名前は正しくない。正確にはマイケル三世。つまりは三代目ということだ。僕だけのために笑い続ける、優しい猫だ。
 
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